Windy day  - 亡くなった婚約者について


このページについて
後追い自殺未遂
前向きに生きることを決めた時
その後の恋愛
亡くなった彼から教わったこと
恋人を亡くした人へ
HPをアップした理由
時間を戻せるとしても今がいいと思えるように

 -15年が経って-


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亡くなった婚約者の人とは、私が18歳、相手が29歳の時に出会いました。

第一印象は最悪だったのですが、すぐに惹かれていき、お互いにこの人しかいないと確信、結婚しようという話になりました。

しかし、お互いの両親は大反対。
私はすぐにでも家を出るつもりだったのですが、相手の人からは、
「そんな形で結婚するのはご両親に申し訳ない。家を出るのはいつでも出来る。これから1年間、精一杯説得して、それでもダメなら押し切って結婚しよう」
と言われました。当時私は18歳の後半で、1年少し後には20歳になり、親の承諾がなくても結婚できる年になります。

私も承知し、お互いの親を精一杯説得することを誓い合いました。
婚約兼 結婚指輪をもらい、婚姻届けには日付以外を記入し、用意していました。

その矢先、相手の人が事故に遭い、意識不明で入院してしまったのです。
入院していたのは集中治療室で、ここへは身内か許可された人しか入ることができません。相手の両親に反対されていた私は 当然面会させてはもらえず、結局1度も会うことがないまま、約2か月後に婚約者は亡くなりました。

亡くなってなお婚約者の人から教わったことや、その後の後追い自殺未遂の経験から得たことを、1人でも多くの人に伝えたいと思い、インターネットを始めて半年後、このホームページを立ち上げました。

全体的には楽しい内容にしたいので、日記など他のページではおバカなことばかり書いていますが、このホームページ、何より私自身の原点は、亡くなった婚約者の人にあると思っています。
このページを読んでそう感じて頂ければ光栄です。



後追い自殺未遂

婚約者の人が亡くなってからは、アルバイトを2つ掛け持ちし、とにかく1日中仕事をして体を疲れさせ、家へは帰って寝るだけにし、必死に気を紛らわせて毎日をやり過ごしました。

それでもものすごく辛かった。朝、起きた瞬間に彼のことを思い出し、日中も片時も頭を離れることなく、夜は泣きながら眠る。仕事中や人前では何とか我慢するものの、1人になると途端に涙があふれて来る。自室のティッシュ1箱が3日と持ちませんでした。

毎日仕事をするだけで、何を見ても何をしても彼のことを思い出す。ただ涙を必死にこらえるだけの毎日で、
「こんな生活をしていて何か意味があるのか。何のために毎日生きてるのか。生きてる意味がないんじゃないか」
と思いました。彼が亡くなってから10ヵ月、精神状態も限界でした。

本気で死ぬことを決意し、アルバイトを辞めたその夜、部屋で薬とお酒を飲みました。
じきに意識がもうろうとして、その後の記憶はほとんどないのですが、必死に介抱していた母親が泣いていたのをワンシーンだけ覚えています。

翌日 目が覚めてから、最悪の気分の中、
「私が死んだら、母親はあんな風に泣いて悲しむんだ」
と初めてその時、自分以外の人の気持ちを考えました。

当時、婚約者との結婚を大反対していた両親とは ものすごく反発し合って暮らしてました。父親とは半年以上も口をきいてませんでした。本気で死ねばいい、と思うくらい両親のことを憎く思ってました。
それでもその時、そんな両親でも、今自分が苦しんでるのと同じ、亡くなった人に対する悲しみを味あわせる残酷な事は出来ない、と思ったのです。

人はそれぞれに悩みがあって、それは他人は絶対全てを理解する事は出来ない領域なんじゃないかと思います。支えてあげることは出来るけど。
だから自殺をする人に対して「弱い」なんて私は言えません。
「生きていれば必ずいい事がある」なんて私が保証できるわけじゃないし、その人を立ち直らせることができるほどの言葉を言ってあげられるほど人生経験豊かじゃあ全然ないし。

ただ、一つだけ私が言えるとしたら、
「あなたが死んで、泣いて悲しむ人がいるなら、やめて」
ということです。
死んでしまったら確かにそこで終わりだけど、あなたのことを大切に想っている人にとっては、そこからが悲しみのスタートになるのです。
残された者の辛さはよく分かるから。(というか、気付いたから)

今、時間が経って、婚約者のこともかなり落ち着いて思い出せるようにはなりましたが、最初の3年間は毎日泣いてました。というより、泣くのを必死でこらえる毎日でした。
本当に辛かった。あんな思いはもう二度と、誰にもしてほしくないのです。
自殺をやめろなんて偉そうなことは言えませんが、どうか、あなたが死んで泣いて悲しむ人がいないかを考え、もしいるならば、その人のためにもう一度思いとどまっていただければ、と願います。


 
前向きに生きることを決めた時

自殺未遂の翌朝、目が覚めて、(自殺に)失敗したことをすぐに理解しました。

これまでは、辛いながらも心の片隅には、「いよいよ耐えられなくなったら死ねばいい」という逃げ道がありました。
しかしそれがなくなってしまった。それどころか、私が死んだらこの苦しみをそのまま母親に与えることになるのだと思うと、辛ければ辛いほど死ねないという泥沼状態になってしまったのです。
この気持ちのまま生きていかなければならない、もう逃げられないのだと知った時、生まれて初めて、本当に目の前が真っ暗になりました。

ですが同時にこの時、生きて行くしかないならどうせなら楽しく過ごそう、という思いも初めて生まれました。もちろん、それで急に気持ちが軽くなったわけではありません。しかしこの日を境に、「どうせ生きなきゃいけないのなら、前向きに生きて行こう」という気持ちが、私の心の片隅に生まれたのは確かです。

そしてその翌日から、ただ彼がいないことを哀しんでいるだけでなく、彼のために何かしたい、何ができるのかという事を考えるようになりました。

その結果、自分の人生を素晴らしいものにすることが、私の人生にかかわってくれた彼への、何よりの恩返しではないかと思うようになったのです。
私がいつまでも彼を引きずり、暗い顔で過ごしていれば、周囲の人は「かわいそうに」と思うでしょう。彼のためにかわいそうに、彼がいなければ、出会わなければ良かったのに、と。
私のせいで、彼を「いなければ良かったのに」という存在にしてしまうことは、絶対にしたくない、と思いました。

しかし私が前向きに生きていき、それは「彼との出会いがあったから」と私が言うことで、彼のことを「あの人がいてくれて良かったんだね」と周囲の人達に認めてもらうことができれば、それは、私にできる最高の彼への愛情表現になるのではないか。
そしてそれが、未だにお墓の場所も知らされていない私が彼にできる、唯一の供養のように思えたのです。

彼と出会って、私は本当に多くのことを教わりました。今の私があるのは、間違いなく彼と出会い、一緒に過ごした半年間があるおかげだと思っています。
その彼の存在を堕としめることのないよう、私は自分に出来る精一杯誠実な人生を、これから生きていこう。楽しいことも思い切り味わおう。恋愛もちゅうちょなくしよう。彼を私の人生の足かせにすることのないように。

死後の世界というものがあるのかどうかは分かりません。彼の死後、惑わされるのが嫌で、その手の本や情報はあえて一切避けてきました。
でももし死後の世界というものが本当にあり、私が死んで彼と再会することができたなら、胸を張って会える自分でいたいと思うのです。

彼を失ったことは、まぎれもなく私の人生で最大の哀しみです。でも、それでも出会えて良かったと心から言えるほどの人でした。
私の一生をかけて、あの人がいてくれて良かったのだ、ということを証明してみせます。
彼がいない方が良かったのになどとは、絶対、誰にも言わせません。


 
その後の恋愛

前向きに生きようと決めたものの、恋愛については、別の人を好きになれるとは到底思えませんでした。なので最初から、恋人に関しては諦めていました。自分は一生独身かもなあ、それも仕方ないか、と思っていました。

しかし、やはり辛い日々は相変わらずです。その辛さを少しでも紛らわせてくれるものを求め、タバコやお酒も試してみた(未成年だったのですが)ものの、あまり効果はなく、半年ほどでやめてしまいました。

あとやってないことは別の男性と寝ることくらいだな、でも行きずりの男性とセックスしてみるのはさすがにちょっと…と悶々としていた時、トラック運転手として最初に入った会社の先輩から、交際を申し込まれました。
その人は私が婚約者の人を亡くした事情も知っていたので、リハビリのつもりだけどそれでもいいのなら、と正直に伝えた上で、お付き合いを始めました。
この人とは、思うように恋愛が出来ないことが申し訳なくて 途中3回別れたのですが、その都度待っていてくれ、トータルで2年間付き合ったことになります。

最終的には結局別れてしまいましたが、この人と付き合ったことは、今から考えるとものすごく前進するきっかけになりました。
第一に、自分はまだ別の人と恋愛出来るのだ、ということを実感出来たこと。(もちろん、亡くなった婚約者の人ほどの気持ちは持てませんでしたし、応えられずに結局別れることになってしまったのですが、それなりに)
そしてもうひとつは、「実際に自分を支え、側にいてくれるのは、生きている人なのだ」ということを身に染みて思い知らせてくれたことです。

亡くなった婚約者の人のことは、この時もまだ、片時も忘れることはありませんでした。しかし、死んだ人は現実に抱きしめてくれることはありません。どんなに心の底から彼を求めたとしても、実際に側にいて抱きしめてくれるのは、生きている人なのです。
もちろんそれは恋人に限らず、家族や友人なども含まれます。しかしやはり「恋人」の穴が空いている時に そのポジションの人が常に側にいてくれたことは、私にそのことを思い知らせてくれる、これ以上ない存在でした。

唯川恵さんの本で、実際に恋人を亡くした女性の一人が、
「何人かの男性ともお付き合いしたけど、どんなにうまくいってるカップルでも、ささいな行き違いは出て来るじゃないですか。そういう時、やはり亡くなった恋人との思い出に逃げてしまう。だからなかなか恋人と続かない」
という内容がありました。
確かに、亡くなった彼は完璧です。時間が経てば経つほど思い出は美化され、自分にとって「理想の相手」となるのでしょう。しかし、そこに逃げてしまっていては、現実の自分は決して幸せにはなれないのではないでしょうか。

亡くなった彼との思い出を持ち続けることは素敵なことです。ただ、それを逃げ場にしてしまうのは、良くないと思います。
現実を逃げることなく受け止めるのは、前向きに生きるために必要なことの一つではないかな…と思うのです。


 
亡くなった彼から教わったこと

婚約者を亡くした当時、「きっと10年も経てば、泣かずに思い出せるようになる」と自分に言い聞かせていました。

そしてその10年後(2002年)になった時、当時は気が遠くなるくらい遥か先に感じた10年後が来たことに、なんだか不思議な気持ちでした。

私が婚約者の人に感謝していることはたくさんありますが、よく実感するのが、諦めずにとにかく行動してみること、そして後悔のないように精一杯生きることについてです。

当時、婚約者の人は事故で意識不明になり、病院の集中治療室(ICU)へ運ばれました。ICUへは身内しか入れず、私のことを反対していたご両親には、私は一切面会させてもらえませんでした。
ご両親がだめならと、主治医の先生の先生の元へ通いつめ、どうか面会させて下さいと何度も何度も頼みこみました。廊下で土下座もしました。
でも先生は、
「どんなに頼まれても、身内の人の許可がないと会わせてあげることはできないから…」
と首を横に振るだけでした。

私はよく「行動力がある」と言われるし、自分でもそう思っていますが、きっとこの時の経験が元になっているのではないかと思います。高校を卒業したばかりの女の子が、先生はどこにいるのかを手当たり次第尋ねて病院じゅうをかけずり回り、何時間も部屋の前で先生の出て来るのを待っていたのです。誰1人力になってくれない状況の中で、自分が動くしかない、行動しなきゃ何も始まらないということを、この時に身をもって思い知ったのでしょう。

「ダメで元々でやってみる」というのは、今や私の座右の銘(というとオーバーですが)になるほどの言葉ですが、これのおかげで、幾度となくラッキーな結果に巡り合えました。このことは、本当に感謝しています。

また、自分を大切にするようにもなりました。自暴自棄になって、今をいい加減に生きたり、ヤケクソになっても、いずれは自分自身に返って来るだけですから。
そして後悔しないよう、与えられた選択肢の中から 最良だと思えるものを選ぶこと。時間を戻すことは決して出来ません。だとしたら、せめて過去の選択を後悔しないようにするしかないと思います。もし、結果が「しまったな」となったとしても、「でもあの時はこれが最良だと思ったし、もう一度やり直せるとしても、同じようにするだろう」と思えれば、今の状況にも諦めがつくし、逃げることなく今の人生を受け止めることが出来るのではないでしょうか。これも、前向きに生きるためには必要なことだと思います。

言葉にはうまく表せないのですが、婚約者の人の存在自体が、今の私の支えになっていることは間違いありません。彼と出会っっていなかったら自分はどうなっていただろうと想像すると、まるで分かりません。トラック運転手にもなっていなかったかもしれない。どんな風に生きていたのだろうというのも、まるで想像できません。そう思うと、彼は私の人生に「なくてはならない」存在なのだなあと思います。

そして「今」が幸せであることを思うと、婚約者の人に感謝する気持ちで一杯です。


 
恋人を亡くした人へ

「いま付き合ってる彼女が、恋人を事故で亡くしていることを知りました。自分は何を言ってあげたらいいでしょうか」
という相談のメールをいただいたことがあります。
また実生活でも、知人から、
「友達の彼氏が死んでしまったんだけど、友人としてどうしてあげたらいいのか」
という相談も受けたことがあります。

メールでの相談についての私の答えは、以前あったQ&Aのページでも書いたのと今も同意見なのですが、友達からの問いかけには正直言葉に詰まりました。

メールでの彼女は、恋人を亡くしたのは何年か前のことで、今はメールをくれた彼ともお付き合いをされていて、内容からも立ち直りつつあるだろうと思われました。
しかし友達の友達の方は、恋人を亡くしたばかり。混乱と絶望のまっただなかにいる人に、一体なんと言葉をかけてあげたらいいのか、さっぱり思いつきませんでした。

私が一番心配なのは、後追い自殺です。私自身も自殺未遂していますから、「自殺はいけない」とは偉そうに言えないのですが、後に残された人達のためにも、やはり生きて欲しいという思いがあります。

恋人を亡くしたばかりの人にかける言葉というのは、それからちょくちょく考えますが、いまだにいい言葉は思い浮かびません。
逆に言われて嫌だなと思ったのは、「まだ若いんだから」という言葉。当時18、9歳だったので、確かにこの年なら、まだまだやり直しは出来る、というか今から始まるくらいの年齢ですし、その人は「大丈夫、すぐにまた恋人できるわよ」と励まそうとしてくれたのでしょう。しかしその時の私は、まるでこの苦しみが大したことないと言われような気がして、「若いから何だっての? 何歳だとしても、好きな人を亡くした悲しみは同じなのに」と、軽く見られたようですごく悔しくなりました。なので、その言葉だけは言わないようにしています。

私が2度と自殺をしなかったのは、自分が死んだら母親が今の自分と同じように悲しむから、という思いからでした。だから、もし私の友達が同じような状況になったら、
「あなたが死んだら、あなたの親や親戚や友人など、あなたを愛してる人はものすごく悲しむと思う。その人達のために生きてて欲しい」
ということを伝えて、
「とりあえず3年だけ生きてみて」
と期限を決めて、何もしないからとりあえず生きてよう、と提案すると思います。

時間が経てば悲しみは確実に薄らぎます。でも、今悲しみのピークにいる人にそれを言っても、何のなぐさめにもなりません。だって「今」辛いのですから。
これから何10年もの人生を彼なしで生きて行かなければならない、と考えるだけで気が遠くなるのではないかと思うので、1年とか3年という期限を定めると、そのくらいなら頑張ってとりあえず生きててみようか、という気にもなりやすいのではないでしょうか。

哀しい間は、あえて何も頑張らなくていいと思います。無理に前向きになろうとしたり、忘れようとしたり、頑張って生きようとしなくていいと思います。「親のために生きてる」ぐらいに考えて、ただ淡々と、漠然と食べて寝て、としたっていいと思います。
そうして毎日を積み重ねていくうち、心が軽くなる瞬間、「ああ生きてて良かったな」と感じる瞬間が、きっと来るはずです。

そしてどうか、亡くなった相手との思い出を、大切に持っていて欲しいと思います。それはあなたにしか出来ないことなのです。

いつか、相手の人との思い出を、暖かい気持ちで思い出すことが出来るようになれば…その時はあなたは、きっといい人生を送れているんじゃないかな、と思います。


 
ホームページをアップした理由

婚約者の人を亡くしてから、同じような経験をして 頑張って生きている人の存在が支えになってくれました。

といっても実在の人物ではなく、実は 『めぞん一刻』 の響子さんです。ご存知の方も多いと思いますが、主人公の響子さんは若くして旦那さんを亡くして未亡人になりました。
漫画なのにおかしいかもしれませんが、当時の私は本気で、
「響子さんも頑張って生きてるのだから、私も頑張ろう」
と彼女を心の支えにしていました。後に、就職試験に軒並み不採用になり落ち込んでいた五代くんに、
「生きていればきっと、何かいいことがありますわ」
と励ますセリフがあるのですが、響子さんがそう言うのだから本当にそうなんだ、と説得力もありました。

私がホームページで婚約者を亡くしたことを書こうと決めたのは、同じような経験をした人が、今も生き続けている私の存在を少しでも支えにしてくれればと願ったからです。
人それぞれ悲しみの深さは違うでしょうから、みんな私と同じ期間で立ち直れるだろうなどとはもちろん思いません。ただ、こうして元気に生きれている人間がいる事実を知り、ほんの少しでもその人の生きる力になれば幸いです。


 
時間を戻せるとしても今がいいと思えるように -15年が経って-

2007年で、婚約者の人が亡くなってから丸15年になります。
事故後 相手の人には会わせてもらえずお葬式にも行ってないので、私にとっては、最後に会った7月29日が永遠の別れになってしまいました。あの日、いつも通り手を振って別れてから15年も経つのだなんて、なんだか信じられません。

写真は1枚もないので、相手の人の顔ももうはっきり思い出せません。思い出も年々確実に薄れていて、寂しい気もしますが、同時に悲しみも薄れていってるということなのだろうから、仕方ないな…とも思います。

「もし1度だけ時間を戻せるとしたら」と考えると、今までは迷いなく「婚約者の人が亡くなる前」だったのですが、ここ数年はちゅうちょするようになってしまいました。

以前は、もし時間が戻せるなら事故を食い止めることしか考えられませんでした。ただ10年くらい経った頃から、もしあのまま婚約者の人と予定通り結婚していたとしても、幸せになれたかどうかは分からないのです。その後いくつかの恋愛が別れに終わったり、大恋愛で結婚した夫とでさえ、ケンカを繰り返しながら四苦八苦して結婚生活を送っていることを考えていると、「結婚してたら、今ごろはきっと幸せ一杯だったハズ!」と脳天気に、お気楽に思い込むことは出来ません。(もちろん幸せだったかもしれないけど)

好きな仕事とアルバイトができて、好きな人と結婚して、かなり幸せに暮らせている方であろう現在の生活を思うと、それを全て捨てて未知の人生を選ぶというのは、かなり勇気の必要なことなことになってしまっています。
そもそも時間を戻せるなんてことは有り得ないのだから、仮定の話でそんなに悩まなくてもいいのでしょうが。婚約者の人が大切だという事実は変わっていないはずなのに、なんだか複雑な気持ちです。

ただ、私自身も 周囲の状況も、15年も経てば変わってしまうのは当たり前です。これが 「生きている」 ということなのだなあ、としみじみ思います。
だけど婚約者のご両親は、おそらく今でも、時間を戻せるとしたら迷いなく事故を食い止めることを選ばれるでしょう。それを思うと、やはり愛情の圧倒的な差を感じますし、あの時面会させてもらえなかったことをものすごく恨んだけれど、あれはやはりご両親が面会したことが正解だったんだな、と思えます。(別に面会できる人数が限られてたわけではありませんが)

また、きっと彼は体中管だらけだっただろうし、2か月も寝たきりでいたら面代わりもしていたでしょう。もし面会させてもらえたりお葬式で会わせてもらっていたら、ショックが大きく、もしかしたら私はすぐに後追い自殺を図っていたかもしれません。そしてそれは成功していたかもしれません。そう思うと、あの時会わせてもらえなかったおかげで、今こうして生きていられるのかもしれないと思います。

もちろん、当時に戻って「面会するかしないか」「お葬式に行くか行かないか」と自分で選択できるなら、面会する、お葬式に行く方を間違いなく選ぶでしょう。ただ現実はもう変えられないわけだし、それを受け止めて、前向きに考えるなら…ということですが。
15年経った今、そうして考えると、ご両親のことを恨む気持ちも全くなくなっていることに驚かされます。

当時 後追い自殺をして、失敗して未遂に終わったことが良かったのかどうかは、正直私には分からなくて、それはひょっとしたら自分でなく、周囲が判断してくれることのような気がします。なのでホームページを見た方からのメールで、「元気が出ました」「勇気づけられました」といただくと、人のためになれて良かった、生きてて良かったんだなーと安堵します。

そんな風に、1人でも多くの人に、私という人間が「いてくれて良かった」と思ってもらえるようにしたいというか、しなければという気持ちがあります。
私が仕事の他にアルバイトを2つも掛け持ちしているのも、ひょっとしたらそういう思いからなのかもしれません。

15年が経ち、亡くなった婚約者の人について何かを書くのは、おそらくこれが最後になると思います。
これからも婚約者の人が教えてくれた、自分自身を大切にすること、逃げないで現実を受け止めること、何もしないで悩むより行動してみることを忘れないて生きて行くつもりです。
誰からも好かれる模範的な人間になど到底なれないのですが、自分がその時その時を一生懸命生きて、
「自分なりに精一杯生きた」
と後悔することなくいられれば、それでいいかな…と思っています。




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